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積み本を無くすには積んである本を全て処分するといい。
これで積み本は無くなる。 ブックオフの100円コーナーとか全巻セットワゴンセールとか安いからとりあえず買っておこうという気持ちを捨てて、読みたい本ならいくらでも払うという思想に切り替えることができる。 読む分だけを買うようにすれば買う喜びも維持できるし読むのが苦痛にならない。 最近古本屋の品揃えが悪い。新品自体が売れてないから中古で出回らないんだろう。 ブックオフはいつ行っても同じ本が並んでいる。とてもつまらない。 自分は真のロリコンではないようだ。ロリどもに対して全く精神性を求めていない。 造形だけにしか魅力を感じていない。ロリババァが最高だ。 真の本好きとはなにか? 自分は本に対して全く精神性を求めていないのか? 造形だけにしか魅力を感じていないのか? それならば紙媒体に固執する理由としては十分だろう。 本というものをそういった視点で見てみると意外な点に気づく。 出版社ごとに違う香りがするのだ。 特に幻冬舎の香りが好きだ。 真っ先に『羊のうた』を思い出す。 紙が薄いことがあるのだ。 一迅社の初期のREXコミックは次のページの絵が透けていた。あれは欠陥だ。 あとサンデーGXのコミックは微妙にサイズが小さい。 講談社の新書サイズコミックだけが入る本棚がうちにはある。少し削るとチャンピオンコミックスも入る。 ビームコミックの一部はコミックワゴンケースに入らない。『アワヤケ』や『ソウルフラワートレイン』などだ 大判のコミックにした時点で見向きもしなくなる輩がいる。コミックガムはそこに目をつけてコミックガムプラスレーベルを作った。 まあせいぜいこの程度だ。 本の造形美だけを求めるやつなんて、いない。 まあたぶん居るんだろうが、そいつはヒネくれたい気持ちが強いだろうけど蔑ろにすべきではない。だが無視する。 ありのままの全てを肯定することが“真の~~好き”というのなら 求めるほどにそれを名乗ることはできない。 たまに“人間好き”を名乗るやつがいる。 そういうやつに出会うと、自分だけはそいつに好いてもらえないのだろうと強い疎外感を抱く。 自分が人間であるということは事実かもしれない。しかし自分が人間であることに自信をもって、そいつに心を開くのはなにかオカシイ。 自分は空を飛ぶ夢をよく見る。夢の中ではどんな場面でも飛ぼうと思えば飛ぶことができる。それに論理の飛躍も大好きだ。自分は前世は鳥だったのかもしれない。 ほら!これだけでも自分が人間だという確証は揺らぐのだ。 正常な人間であるなんて、そう安易に名乗れたものではない。 しかし「正常であるとは何かを悩んでいる人間は少なくともそいつは正常な人間である」という考え方がある。 とするともしかしたら自分は正常な人間なのかもしれない。 おっとおっと、ここが落とし穴だ。 この考え方を知った時点で、そいつは「正常とは何か」を考えることを少し怠っている。 まったく油断も隙もありはしない! このように積み本を増やすことは、罪を増やすことであり、人生をツむ原因になりかねない。 しかしだ! デジタルにしたらどうだろう これは積むことができない。データが貯まるだけだ。 だからデジタル書籍は将来性があるのかもしれない。 これに紙媒体が対抗するには、本を積まずにちゃんと読むことが何よりも大切なことなのである。 PR |
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